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手間がかかる手巻き寿司?!
私が福祉にかかわるようになった理由①
41歳になる長女は出産時、臍帯が二重に巻かれ黄疸も強く心配しましたが、
その後は順調に成長し、表情が豊かで声掛けによく笑う可愛い女の子でした。
祖父母も私たち夫婦にとっても幸せな気持ちにあふれる宝物のような毎日でし
たが、産後2か月の育児休暇が終わると慌ただしい毎日へと様変わ
りしました。30分ほど離れた夫の実家に毎日あずけに行き、3ヵ月からは職場
に近い保育所にあずけながら職場復帰をしました。
異変を感じたのは8ヶ月頃でした。体全体が柔らかく坐位が保てない、はい
はいをしないなど同年代の子どもさんと比較しても運動面での遅れが目立ち始
めました。さらに夜泣きが激しくなり同時に手たたきや髪の毛をむしるなどの
異様な行動が出始め、娘に何が起きているのか、この先どうなっていくのかと
いう不安と焦りに包まれた辛い時期でした。10か月検診では「気になるので様
子を見ていきましょう」と言われたものの、当時は相談や療育のシステムが現
在のように整っていなかったため、何をどうしたらいいのか途方にくれました
。
しかし立ち止まってはいられないと、原因究明と手立てを求めて病院巡りを
始めましたが、ここでも「様子を見ましょう」という言葉しか聞けずさらに混
迷が深まるばかりでした。その頃、書店巡りの中で『この子らを世の光に』(
糸賀一雄 著)と出会い、障害児者の限りない可能性が世の光として導く存在
であるという思想に深く打たれました。
2歳を前に退職し、母子通園を始めた保育園の図書の中で『子どもの発達と
診断』という田中昌人先生の著書を見つけ、連絡先の京都大学教育学部に問い
合わせたところ、自宅の電話番号を教えて頂きすぐさまお電話をさせて頂きま
した。電話に出られた奥さまの杉恵先生の優しい声掛けに涙があふれ、泣きな
がら不安な胸の内を吐露してしまいました。田中先生を頼って発達外来のある
京都の病院に通い、白石正久先生とも出会いました。
「障害があってもなくても発達の道筋は変わらず同じ道筋をたどります。
つまずいている所に気づき丁寧にかかわることで克服し豊かな発達を遂げます
。克服しようとする子どもさんの力を信じ尊敬して子育てを楽しんでください
。」
この発達観が全障研(全国障害者問題研究会)の考え方であること、そしてそ
の原点が糸賀一雄さんの思想にあることと結びつき、私自身の揺るがない発達
観となりました。
一年ほど通った3歳半の頃、橋本加津代先生によって『レット症候群』と診
断されました。「原因も治療法もまだわからない病気だけど医療と教育の進歩
の中でやがて克服されます。あきらめずに一緒に頑張っていきましょう。」と
力強い言葉に励まされ勇気を頂いたことが、その後のレット症候群家族の会(
さくらんぼ)結成、支援学校卒業後の作業所(わがんせ)つくりの原動力にな
りました。(宮崎京子)











