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卒園~これまでの日々
ほしのこキッズの母です。
息子は年長で、春からは支援学校の一年生。
このタイミングで、今までを振り返ってみようと思います。

息子は、最重度知的障害(A1)・自閉症・ADHD・喘息持ち。
知的には1歳3ヶ月。
発達退行した折れ曲がり型です。
どこに行っても、ぶっちぎりな発達特性をもつ息子。
ですが障害の程度と暮らしやすさは、必ずしもイコールではないのだと、息子を見ていて思います。
息子は、まわりの人の期待に応えることをしません。
しゃべれないし
あいさつもしないし(タッチはできるようになりました♡)
子どもが喜びそうなものもプイッとしたりして。
その姿を見るたびに、わたしはジワリと罪悪感がありました。
でも、よくよく見ると。
息子は、あいさつをしてもしなくても
みんなと同じようにできなくても
子どもたちのなかで、自然に溶け込んで過ごしていました。
わたしの常識には当てはまらない、やさしい息子の世界が、そこにはありました。
入園から卒園まで、
先生方もまわりのご家族からもイヤな思いをすることなく
いつもあたたかく見守って、声をかけてくれました。
ほかにも関わってくださる方が優しくて、
それはとてつもないラッキーなことで。
息子は、人に恵まれる運をもってると思っています。
ここほしのことの出会いも、
幼稚園の先生がきっかけでした。
レオさんに最初に言われた言葉。
「発達には段階がある。
まずは、息子くんにとって、
ここが安心で、好きなことを思いきりできる。
ありのままの自分でいられる場所にできるように。
そこを満たせば、他者への興味が出てきて、
次の段階に自然と進む。」
自然に?
びっくりでしたが
話を聞くにつれ、そうだよなぁ、それが自然だなぁ、と思いました。
利用しはじめて、わりとすぐに息子と目が合うようになりました。
「あ、これはいい。
息子にあってる。」
と思いました。
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息子は、ゆっくりマイペースに成長しています。
ゆっくりすぎて見落としそうなことも、
小さすぎて、側からみると当たり前なことも。
みんなで喜んだり、悩んだり、感動したりしながら過ごしています。
子どもの障害がわかったとき、母として、強くならなきゃ。変わらなきゃ。
と思っていました。
今はそう思いません。
強い時もあれば、弱い時もある。
わたしのままで子育てをしています。
それでいいんじゃないかな、と思っています。
雨の日のほしのこ
雨の日、いつもは外で思いきり遊ぶ子どもたちが室内で過ごしました。
スタッフは少し心配していましたが、子どもたちはそれぞれのペースで遊びを見つけ、行き来しながら自然に交わっていました。
小雨の時に傘をさして、散歩に行く子もいましたが
気持ちが整えばお部屋に入っておやつ作りをしたり
大好きなお友達とじゃれあったりしました。
お友達との距離感の難しさはありますが
体験をすることで、スタッフが声をかけて調整することができます。
小さな揉め事も多々ありましたが、それも大切な経験。
感情が動き、ぶつかり、また戻る。
10人の子どもたちが同じ空間で過ごしながらも、それぞれが自分を保てていたこと。
それは、安心できる土台が少しずつ育っている証だと感じました。
イラストで様子を紹介します👇
ここからは少し専門的になりますが、読みたい方だけ読んで下さいね。
🌱 子ども集団の発達段階(療育の現場で~)
※年齢ではなく「関係の成熟度」で見ます。
🔵 第1段階:同じ空間にいられない集団
特徴
-
個々がバラバラに動く
-
誰かが崩れると連鎖する
-
刺激に過敏
-
大人の制御が強く必要
ここでは
「集団」はまだ成立していません。
🟡 第2段階:管理によって成り立つ集団
特徴
-
大人の指示で動く
-
ルールがあると安定
-
崩れそうになると大人が即介入
-
静か=安定になりやすい
これは多くの施設が目指す“形の安定”です。
でも、まだ自律的ではありません。
🟢 第3段階:ゆるやかな相互調整が起きる集団
ここが、今回の雨の日の様子に近いです。
特徴
-
行き来が自然に起きる
-
揉め事はあるが崩壊しない
-
子ども同士で距離調整をする
-
大人は全面に出ない
-
個と集団が両立している
これは
自己調整 × 他者調整 × 環境理解
が育ち始めている状態です。
🔶 第4段階:協同創造が生まれる集団
特徴
-
自然な役割分担
-
自発的なルール形成
-
トラブル後の修復が早い
-
集団に安心して挑戦できる
ここまでいくと、
集団そのものが発達を引き上げます。
今日の状況は第3段階自己調整 × 他者調整 × 環境理解が育ち始めています。
管理しない・放任でもない・ 関係の土台を育み
共に育ちあう子ども達の姿に出会えた素敵な雨の日でした。
手作り~赤ちゃんのガラガラ~
手間がかかる手巻き寿司?!
私が福祉にかかわるようになった理由①
41歳になる長女は出産時、臍帯が二重に巻かれ黄疸も強く心配しましたが、
その後は順調に成長し、表情が豊かで声掛けによく笑う可愛い女の子でした。
祖父母も私たち夫婦にとっても幸せな気持ちにあふれる宝物のような毎日でし
たが、産後2か月の育児休暇が終わると慌ただしい毎日へと様変わ
りしました。30分ほど離れた夫の実家に毎日あずけに行き、3ヵ月からは職場
に近い保育所にあずけながら職場復帰をしました。
異変を感じたのは8ヶ月頃でした。体全体が柔らかく坐位が保てない、はい
はいをしないなど同年代の子どもさんと比較しても運動面での遅れが目立ち始
めました。さらに夜泣きが激しくなり同時に手たたきや髪の毛をむしるなどの
異様な行動が出始め、娘に何が起きているのか、この先どうなっていくのかと
いう不安と焦りに包まれた辛い時期でした。10か月検診では「気になるので様
子を見ていきましょう」と言われたものの、当時は相談や療育のシステムが現
在のように整っていなかったため、何をどうしたらいいのか途方にくれました
。
しかし立ち止まってはいられないと、原因究明と手立てを求めて病院巡りを
始めましたが、ここでも「様子を見ましょう」という言葉しか聞けずさらに混
迷が深まるばかりでした。その頃、書店巡りの中で『この子らを世の光に』(
糸賀一雄 著)と出会い、障害児者の限りない可能性が世の光として導く存在
であるという思想に深く打たれました。
2歳を前に退職し、母子通園を始めた保育園の図書の中で『子どもの発達と
診断』という田中昌人先生の著書を見つけ、連絡先の京都大学教育学部に問い
合わせたところ、自宅の電話番号を教えて頂きすぐさまお電話をさせて頂きま
した。電話に出られた奥さまの杉恵先生の優しい声掛けに涙があふれ、泣きな
がら不安な胸の内を吐露してしまいました。田中先生を頼って発達外来のある
京都の病院に通い、白石正久先生とも出会いました。
「障害があってもなくても発達の道筋は変わらず同じ道筋をたどります。
つまずいている所に気づき丁寧にかかわることで克服し豊かな発達を遂げます
。克服しようとする子どもさんの力を信じ尊敬して子育てを楽しんでください
。」
この発達観が全障研(全国障害者問題研究会)の考え方であること、そしてそ
の原点が糸賀一雄さんの思想にあることと結びつき、私自身の揺るがない発達
観となりました。
一年ほど通った3歳半の頃、橋本加津代先生によって『レット症候群』と診
断されました。「原因も治療法もまだわからない病気だけど医療と教育の進歩
の中でやがて克服されます。あきらめずに一緒に頑張っていきましょう。」と
力強い言葉に励まされ勇気を頂いたことが、その後のレット症候群家族の会(
さくらんぼ)結成、支援学校卒業後の作業所(わがんせ)つくりの原動力にな
りました。(宮崎京子)





